――まずは、原作を読まれたご感想から。
高山 いろいろなジャンルのネタを詰め合わせた感じがあって、そこがとても楽しかったです。「ネコミミの付いた宇宙人が現れて、ラブコメが始まって……」という、一見手垢のついたネタだと思われるシチュエーションが、実は全部裏返しの意味を持っていて、それゆえに、ベタな描写をすればするほど逆の意味が発生するところが面白かったです。
――ファーストコンタクトものSFであり、落ちものラブコメであり、学園ものっぽい要素もありますよね。
高山 その「ファーストコンタクトもの」では重要なはずの、異星人と主人公の出会いの瞬間を「気がついたら一緒にご飯食べてた」みたいに敢えてさらっと流して、それ以外のところをどんどんコミカルに描いていくところが面白いです。
――そうした作品を脚本化していくにあたって、意識された点は?
高山 小説なら文章の力と読者の想像力で成立するけれど、アニメとして映像化した場合はイメージを固定化してしまうために、同時にやるとコンフリクトしてしまうネタがいくつかあったんです。そこはすごく怖い部分でした。なので、いくつかのキーになるテーマに絞り込んで、それ以外の要素を削り、残った部分を補強する形でネタを足す方向で再構成しました。
――具体的にはどのようなことを?
高山 例えば、僕はよく作品のリアル度合いを、「キャラクターが高いところから落ちたとき、リアルに死んでしまう作品なのか、次のシーンで包帯ぐるぐる巻きになって出てこれる作品なのか、人間の形をした穴が地面にできる作品なのか、それとも、落ちた先は一切描かなくてよい作品なのか、それとも――」という喩えで話すのですが、この原作でのリアル度合はキャラクターごとに仕掛けがあるんです。たとえば、騎央はそのまま落ちたら死にますが、河崎監督は下手をしたら死なない(笑)。キャーティアの文明では、人間の形をした穴が科学的な力で空いて助かることだってありうるかもしれない。そういう世界観なんです。
――なるほど。
高山 これを映像化するのはとても難しくて、一つ間違うと世界観が崩れる怖れもあります。また、科学力で『マンガ的な表現』を『リアル』に起こすことが可能なキャラクターが中心にいるので、それを成立させるためには、地球人側のギャグ描写に制限があるのが、このアニメの枷なんです。汗ジト程度の漫符くらいは可能ですが、ギャグシーンで主人公が三頭身になるのはこのアニメでは無理で、それをやるとキャーティアの存在意義が消えてしまうんです。コマで割って分離できるコミックスならまだやり方はあるのですが、連続フレームのアニメーションでは、その辺りの表現は非常に難しくなります。なので、一見ギャグアニメ風のパーツがたくさんありながらも、表現はリアル描写に寄せた表現になっています。シリアス系の描写であればあるほど、コミカルな表現を科学力で行っているというキャーティアの特性が出てくるんです。
――キャーティアというマンガ的な描写が全て科学的に設定付けられる面白さが、この作品の大きなポイントである、と。
高山 『うる星やつら』のようにバズーカー砲に被弾した時に「ちゅどーん!」と飛んで行けない作品なんです。この世界では銃弾があたると死んでしまう。それゆえに、キャーティアの「擬似反物質による擬似対消滅で生き物以外を消すピコピコハンマー」という設定が生きるんです。逆にいうと、だからこそ地球側の兵器はリアルに描く必要があるんです。
――設定面の細やかさをアニメに落としこんでいくために工夫された点は?
高山 絵として設定を起こす現場の方は大変だったと思いますが、僕の方は文字から文字へなので、大した手間ではなかったです。もともと僕も、多少はSFやミリタリーが好きですし。あとは、うちにあるモデルガン類は資料として貸出をしました。今AICの会議室が武器庫になっています。
――先日、スタジオで高山さんからの預かり物コーナーを拝見しましたが、たしかに膨大な量でした。
高山 銃身が6本あるミニガン(小型のバルカン砲)とかも持っていきました(笑)。
――ちなみに、銃器の設定という点で言うと、銃撃シーンでの銃のとりまわしについてもリアリティを追求されたのでしょうか?
高山 普通のガンアクションのリアリティというか、ガンマニア的なトリックは普通の作品でやったほうが引き立つので、あまり書いていません。この作品ではこの作品ならではの設定とキャラクターを活かしたガンアクションを心がけました。擬似対消滅で服が消えるとか(笑)。そういう、この作品ならではの仕掛けでバトルをやっています。
――高山さんといえば設定考証としてのお仕事もされていましたよね。SFとしてこの作品を見るといかがですか?
高山 そもそもSFとは? という所から話す事になりますが、基本的には、理工学的なガジェットや仕掛けによってドラマが発生し、理工学的な仕掛けによってドラマが展開して、理工学的な仕掛けによってそのドラマが帰結する作品をSF=サイエンス・フィクションと呼びます。その理工学的な仕掛けがなくては成立しない物語です。その仕掛けが本当に科学的に正しいかどうかは実はあまり問題ではなくて、その仕掛け抜きでは同じプロットを他のジャンルに書き換えができない、というのがSF作品の重要なポイントなんです。スペースオペラ等には、科学がドラマに絡まない単なるガジェットで終わる作品もあって、それはそれで面白いのですが、厳密にSFかそうでないかという話になると、宇宙を荒野に置き換えて、宇宙船を馬に起きえれば、プロットを西部劇に書き換える事ができてしまう、厳密な意味でのSFではない作品もあるわけです。唯一、SFとプロットを共用できるジャンルにファンタジーがあります。高度に発達した科学は魔法と区別が付かないという言葉があるように、非日常的な仕掛けに、科学という言葉を使うか、魔法やそれに類する言葉を使うかで、SFとファンタジーの間ではジャンルの書き換えが可能なんです。
そういう意味では、今はあえてSFやファンタジーと謳わなくても、SFと同じ種類の仕掛けが入っていてSFと同じ面白さを持つドラマ作品がどんどん増えています。SFと謳っていないSF的な作品が、既に世の中に氾濫しているんです。
そんな時代のなかでの『あそびにくヨ!』という小説におけるSF設定は、SFをネタとして一周した上で真正面から斬り込んでいる感じがあって、非常に面白いと思っています。
――ただSFガジェットが登場するだけのなんちゃってSFっぽい作品が多い中で、良い意味でオールドスクールなSFらしさがある作品ですよね。
高山 そうですね。昔、宇宙科学の論文だったか何だったかは忘れましたが、「もし地球に宇宙人が訪れたら、ファーストコンタクトに最適な人種は日本人ではないか」という話を聞いた記憶があるんです。日本人なら、とりあえず当たり障りのない所で上手く話がまとまるのではないか、と。その後の折衝に関しては分かりませんが(笑)。原作者の神野先生から、キャーティアは日本人と同じ言葉をしゃべる日本人に近い性格の宇宙人であると伺った時に、その話を思い出しました。エリスのセリフも、決して高圧的でもなければ自己主張も強くなく、意見があっても「いかがですか?」とお伺いを立てる、もしくはお願いをするという形で表現する。日本人の奥ゆかしい性格を伸ばして作られたキャラクターなんですよね。そのファーストコンタクトに適した種族同士のファーストコンタクトに、異なるメンタリティーの種族、組織、団体が次々と妨害に入るという図式は秀逸です。あと、文明が高度に進歩したことで、かえってマンガチックな文化になるという設定も面白いと思いました。現代の地球が抱えている思想、政治、宗教などによる問題や争いが、何万年も進んだ社会に住む宇宙人から見ると、ピコピコハンマーで壊せるような些末な事なんだよ、というところはテーマとして非常に興味深いです。
――この作品の重層的な魅力というと、あとはやはり沖縄の描写ですね。そこについてはいかがでしょうか?
高山 僕は『ストラトス・フォー』以来の沖縄取材に行きました。監督はもう何度も旅行で訪れているそうなんですが、僕は沖縄本島の方を巡るのは初めてで。不思議で面白い土地だと思いました。たぶん、僕が住んだらのんびりして仕事をしなくなっちゃう(笑)。
――「沖縄のここは出したい」という場所はあったりしましたか?
高山 どちらかというと、そこは監督がこだわられてます。すごく地理をご存知でした。取材も監督の運転する車でまわったくらいです。
――となると、沖縄に行けば『あそびにいくヨ!』の聖地が巡礼できるんですね(笑)。
高山 かもしれないですね(笑)。やっぱり実際に行かないとわからないことも多く、面白いこともたくさんありました。
――この場でお話しできるようなことはありますか?
高山 ヤンバルクイナは衝撃でしたね。「動物の飛び出し注意」という標識があるじゃないですか。普通は、鹿や、猿とか、イノシシの絵が描いてあったりするんですが、沖縄だとヤンバルクイナの絵が描いてあるんです。で、「天然記念物とかそんなにいるわけないよね~」って話しながら車で走っていたら、ホントに飛び出してくるんですよ。一日に4匹も見ました。ビデオにも撮りましたよ。あれは気をつけないと本当に轢きますよ(笑)。それから、お墓が特徴的です。1話に登場していますが、すごく格好いいものがあるんですね。
――沖縄らしさといえば沖縄料理もありますね。原作もそうですが、この作品は食事シーンが多い印象です。そこも意識的に?
高山 はい。生きている人がものを食べるというリアリティみたいなものは欲しいのですが、アニメでは「食べる」描写はけっこう大変なので、食事シーン自体を避ける傾向があるんです。しかし、沖縄の文化の中でも食べものはすごく特徴的なので、積極的に入れていきました。ほかの作品ではあまり出てこない要素ですし、食べ物へのこだわりでも、地球人とキャーティアの関係が描けますから。キャーティアたちは宇宙船の長旅で合成食品ばかり食べていたため、地球に来ておいしいものを食べたのが話を動かすきっかけのひとつだったりもするので、そこは可能な範囲で積極的に食べ物を描けたら、と思いました。
――なるほど。そこも、この作品のキャラクター描写の差異を意識して。
高山 そうですね。「こういうキャラはこういう行動をとるものだ」みたいなテンプレートではなく、キャラクターは自分の感情や理念で行動するものなので。キャラクターを描く上で、そこはいつも気をつけています。
――ヒロインたちの揺れる女心もしっかり描写されていて。その辺りは、高山さんのお得意なところだと思いますが。
高山 いや、どうでしょう(笑)。
――真奈美の描写が原作よりもちょっと厚くなっている気がしましたけれども。
高山 真奈美を原作よりも少しフィーチャーしてほしいという意見があったんです。でも、もともとあった感情をちょっと持ち上げてあげただけのつもりです。原作ではカメラがあまり向かなかった描写されなかったところにカメラを置いて、それで見えて来たところを少し伸ばしただけです。ただ人物の配置は、いわゆるこの手の「男の子が一人に女の子がたくさん」という作品のよくある配置から、ほんの少しだけ外れています。そこは、おや? と思って面白がってもらえたらいいなと思います。
――アニメ版独自の要素といえば、各話のアバンに入るナレーションも面白いですね。
高山 あれは昔のテレビ映画のように、各話の冒頭でハイライトシーンを見せようというアイデアがあって、最初は毎回定型のナレーションが入る予定だったんです。でも、随所にいろいろなパロディの入っている原作なので、いろいろやってみようという感じで今の形になりました。
――わかる人がニヤっとしてくださいという感じですよね(笑)。では最後に、このインタビューが公開された8月中旬以降の見どころ、注目ポイントについて伺えればと思います。
高山 ドラマ面では、シリーズも中盤戦を迎えて、ここからキャラクターたちのそれぞれの想いが、どのような方向に向かっていくのかを楽しみにしてもらえればと思います。アクション的なみどころは、全編がほとんどそうですよね。もともと原作にアクションシーンが多いので、ドラマとの兼ね合いを考えつつできる限り拾っています。大騒ぎを楽しみにして頂けたらと思います。